わたしと交差点

 

2014年12月10日にザ少年倶楽部で披露された中山優馬くんの名曲、「交差点」。Travis Japanがバックについて披露されたこのパフォーマンスに特別な想いがある。

 

とはいえ当時を知っているわけでもなく、Travis Japanを追いかけるようになってからまだ1年近くの私の想いなんざずっと見守ってきた方々からすれば浅いものである。

しかし私にとってはすごく心を動かされた経験だったので残しておきたい。

 

わたしの心の変化による交差点のパフォーマンスに対する気持ちを時系列順にまとめた、超個人的備忘録。

 

 

 

 

 

 

去年の秋、交差点のパフォーマンスを初めて見た。

阿部顕嵐くんが久しぶりに戻ってきて最初の記念すべきパフォーマンスだったとか、その顕嵐くんがトラジャじゃなくなってしまうと騒がれていた去年の秋のトラジャ担の複雑な心境を知らずに、ただ純粋に交差点を見て涙した。

個性はありながらも、しっかり揃ったダンス。バランスの取れた配役。バックダンサーとしての仕事をしっかりこなしているところは本当にプロで、ああ、トラジャの良いところが全部出てる、、、と思った。

眩しかった。青春だなと真っ先に思った。そして他のユニットにはない、儚さを感じてしまった。一人ひとりが熱くて、一生懸命にそのパフォーマンスに向き合っていた。ここで踊れるのが嬉しい、楽しいという純粋な気持ちが見て取れた。9人の集中力と輝きが、あの見慣れたNHKホールのステージ上でさえも妙に異質ですごく惹かれて。

高校時代の部活を思い出した。個性がバラバラで、部活が同じってことくらいしか共通点がなかったけれど、同期はすごく仲が良くてひとつの目標に向かって一生懸命だった。もちろんトラジャは部活じゃなくて仕事で集められて出来たユニットであって、青春だとかいう例え方は失礼に値するのかもしれないけれど、交差点のバックダンサーをするTravis Japanはそれくらい青くて一点の曇りも無くて無限の可能性を感じた。

 

それから、憑りつかれたかのように毎日交差点を見た。朝起きて交差点を見て家を出るのがあたりまえになっていった。交差点を見ると、憂鬱の影が薄くなっていき心が晴れ晴れとしていった。楽しそうに踊るTravis Japanはわたしのパワースポットのようなものになっていた。

 

 

 

 

2月、仲田拡輝くんの退所説が流れたその日から、あんなに毎日見ていた交差点を一切見られなくなってしまった。

キラキラ輝く宝石に罅が入ってしまったような感覚だった。罅が入っても宝石は輝き続けていたはずなのに、2月の私はその罅しか見れなくなってしまっていた。一瞬にして暗くなった世界に、交差点は眩しすぎた。

 

 

9人じゃないと、8人じゃないと、7人じゃないとTravis Japanじゃないとか私は言うつもりはない。守ろうとしているメンバーがいて、そこに存在してくれている限りTravis JapanTravis Japanだし拡輝くんがいないこともいつかは受け入れられるのだろうと、冷酷ながらも自分を落ち着かせたくて考えたりもした。

ただ、拡輝くんがいなくなったことで、交差点が一気に遠のいてしまった。遠い昔の、かつていたメンバーとの、最高のパフォーマンス。そんなふうになってしまうのかと思うとすごくすごく寂しくて、とても交差点が見たいという気持ちにはなれなかった。「過去になるのが寂しい」という言葉をよく聞いていたが、こういうことなんだなと知った。

 

 

たまらなく大好きで毎日欠かさず見ていたパフォーマンスを、見れなくなる。デビュー組をずっと応援してきた私には初めての出来事だった。

 

 

 

交差点を見れない日々は6月まで続いた。

 

 

 

6月9日、ロックの日少年倶楽部Travis JapanのLet it BURN!を見た。

大興奮した。メンバー一人ひとりに与えられたソロのパート。細かい振付とフォーメーションチェンジ。グンッと磨かれたパフォーマンスに彼らの執念を見た気がした。俺たちの新境地を見ろ!とでも言うかのようなギラギラ感に圧倒され、何だか踏ん切りがついた。閉じていた扉を開けることに怖さを感じなくなっていた。

 

とはいえ久しぶりに見た交差点は覚悟を決めて見るといった感じではなく、友達に見せる時に便乗するかたちであっさり見られた。相も変わらず眩しくて愛おしい交差点のパフォーマンス。泣くとは思っていなかったけれど、好きが溢れてちょっと泣いてしまった。

 

 

交差点が好き。交差点のTravis Japanが好き。拡輝くんがいるTravis Japanが好き。

でも、今の前に進んでいるTravis Japanが、今一番応援したいTravis Japanなんだ。長かった呪縛から抜け出せたのは、そう思えたからなのかもしれない。実際、これからのTravis Japanにすごくわくわくしていた。

 

 

 

 

6月20日、美勇人くんがトラジャを抜ける疑惑が出る。

拡輝くんの退所疑惑はすぐに“これはガチだな”と勘付いて信じ込めた私も、これは華麗にスルーした。表面上は覚悟しているように見せかけていたが、ずっと心のどこかで「そんなこと起こるわけがない」と思っていた。

 

 

再び「これ以上トラジャを壊さないでくれ」という想いから交差点を見られなくなり、8月が来るのが怖くなった。

 

 

 

8月17日、君たちがKING’S TREASURE Travis Japan単独公演にお邪魔した。

感想を書きだすと長くなるので一言だけ。素晴らしかった。本当に素晴らしかった。見ても悲しくなるんじゃないかとか物足りなさを感じてしまうのではと無駄な覚悟をしていた自分を殴り飛ばしたい。本当にTravis Japanに失礼なことをした。彼らは全部わかっていた。私たちが見たいものも、自分たちの強みも、伝えたいことの伝え方も。私が好きになったトラジャも、知らなかったトラジャも、新しいトラジャもそこにいた。一番の収穫が、「Travis Japanは大丈夫だ」と知れたこと。大丈夫。何があっても大丈夫だと確信できた。

 

何て強い人たちなんだろう。それはさみしいものはさみしくて、変わって欲しくないしまだまだ言いたい我が儘もたくさんある。けれど、あんなに優しくて、そして強い覚悟のようなものを見せられては、黙って見守る他ないなと思ってしまった。

 

 

 

 

 

そして8月24日の今、交差点を穏やかに見ることが出来ている。

交差点は過去のものだと線を引くことが出来たからなのか、トラジャ単独公演で今のトラジャに満たされたからなのか。どちらにしても少し寂しさの残る答えなのであまり正解は探さないことにするが、ひとつ言えるのは、メンバー全員があの頃から大きく成長していること。そしてそれぞれがまだまだ伸びしろのある期待の星であること。Travis Japanやメンバー一人ひとりのこれからに期待しながら交差点を見るようになった。

 

 

交差点という曲のパフォーマンスに対する気持ちがここ一年間で随分と移り変わっていったことが、今考えるとすごく興味深くて振り返ってみたくなったので記事にしてみた。全部感情のままに起こったことなので自分では意識していなかったが、そんな心の変化にはトラジャに対する希望や絶望や我が儘が反映されていること、そしていかに自分が交差点のときの輝きに恋をしているかを思い知る結果となった。

夏が終わって、あの時とは違うかたちでも今のTravis Japanは十二分に輝いていることを確信出来たことで、これからは交差点を楽しく見られるような気がしている。そうだといいな。果たしてどうなるのかは神のみぞ知る、である。

 

 

 

 

 

 

交差点への恋心は、忘れたいものでも苦いものでもない。いつまでもキラキラしたままで心に閉じ込めておきたいなというのが、今のわたしの願いだ。

 

 

 

皆さん交差点見てくださいね。屋良朝幸くんの振り付けです。(突然の宣伝)

 

 

いつかまた優馬くんのバックで交差点を踊って欲しいな、とぽつりと呟きつつ、今日も大好きな交差点のパフォーマンスに元気をもらう。